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人によっては「夏かし」と呼ばれているものです。

ハロプロ @ヒットメーカー阿久悠物語  (その2)

阿久悠がスターの可能性がないとみなした山口百恵であるが、その予想に反してスターへの道をかけ上げって行く。そして山口百恵の歌に曲を提供し続けてきたのが都倉俊一であった(1975年までの提供)。デビュー曲の「としごろ」(1973.5)はあまりヒットしなかったが、第2曲目の「青い果実」(1973.9)からは他の二人とは違う大人びた路線をとることにより成功していく。さらに、1974年12月には映画「伊豆の踊り子」において主演し、好評を博する。なお、この映画で共演した三浦友和とは、多数の映画に共演することになり、ゴールデンコンビと呼ばれるようになる。これに対して、阿久悠桜田淳子の歌に詞を書き続けるが、山口百恵ほどの継続的なヒットはなかった。

山口百恵の才能を見出すことができなかった阿久悠であるが、都倉俊一とのコンビで、社会現象ともなるピンク・レディー(1976年デビュー)の歌を手掛けることになる。デビュー曲の「ペッパー警部」において、両足を閉じながらも股を開く振り付けは品がないと見なす人も少なくなかったが評判を呼び、彼女達をスターダムに送り込む。始めはお色気路線を進むのでないかと懸念されたピンク・レディーであるが、その振り付けは予想に反し子供たちに大受し、国民的なアイドルになるのである。
なお、ドラマでは「スター誕生」の審査員であった松田トシ(佐藤真弓)が当時としては過激であったこの振り付けに抗議するシーンがある。さて、http://d.hatena.ne.jp/natuka_shinobu/20080920/1221862899:Titleの冒頭で述べたが、ドラマでピンク・レディーを演じたのが、モーニング娘高橋愛新垣里沙である。「ペッパー警部」を歌い踊り、この役を無難に演じた。なお、この時代では「ペッパー警部」の振り付けは品がないとされたが、モーニング娘の歌にはもっと過激な振り付けがあるものもある。なお、現在では、(「ペッパー警部」の時代の感覚においては)過激な振り付けがされている歌を、モーニング娘だけではなく多くの女性歌手が歌っている。しかしながら、品がないという声が上がらないのは時代の流れともいえる。

山口百恵は、ピンク・レディーがデビューした1976年からは、阿木燿子(作詞)と 宇崎竜童(作曲)の作る歌を歌うようになり、このコンビによる第一作である「横須賀ストーリー」から当然のようにヒットを重ねていく。しかしながら賞には縁があまりなかったようである。ドラマでは、1988年のレコード大賞山口百恵が逃すシーンを描いている。この時のレコード大賞を受賞したのがピンク・レディーの「UFO」(作詩:阿久悠、作曲:都倉俊一)であった。ちなみに、1984年、1985年のレコード大賞は、「北の宿から」(都はるみ)、「勝手にしやがれ」(沢田研二)であり、作詞は両者ともに阿久悠であった。

阿久悠さんというと、映画「瀬戸内少年野球団」を思う浮かべる私であるが、今回のドラマを通じて、私が今まで知らなかった日本歌謡史を知ることができた。この番組を作ったスタッフ、出演者に感謝したい。