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人によっては「夏かし」と呼ばれているものです。

高麗の郷について  9/29  巾着田への旅行(3/4)

日高市の主な観光地というと巾着田の他に、高麗神社と聖天院があります。日高市は、(「http://d.hatena.ne.jp/natuka_shinobu/20080929/1222696262:Title」にも書きましたが、)高麗川村、高麗村、高萩村という自治体が1955-6年に合併してできた自治体です。この3つの観光地があるのは、旧・高麗村があったところです。日高市の現在の中心はどこなのかは分かりませんが、古代におけるこの地域の中心地の一つは、旧・高麗村の高麗本郷の周辺ではないかと思いました。

以下、少し調べたことを書きます(認識間違いがあるかもしれないので、その場合はご容赦ください)。
日高市飯能市の周辺には716年に高麗郡というのが作られ、高麗郷と上総郷という二つの郷があったらしいです。高麗郡を作る時は、関東地方にいた高麗人1,799が高麗郡に移されたようです。高麗郷を収める職に任じられたのが、朝鮮半島にあった高句麗(こうくり)という国の王家の血を引く若光という人だそうです。何故、これほどの多くの高句麗の人が関東地方にいたかというと、668年に高句麗国が滅んだことが関係しているようです。若光の場合、国が滅びて一族を引き連れて日本に亡命してきたようです。
若光が日本に亡命する際に上陸した場所は、神奈川県の大磯町らしいです。大磯町には高麗山という山と、高麗神社という神社がありますから、もっともらいしいですね。若光自身であったか分かりませんが高句麗系の渡来人が、相模川周辺の開拓に貢献したようです。当時の日本よりは文明が進んだ国から来たために、渡来人は先進的な技術を持っていたのでしょうね。なお、相模川周辺にある高座郡藤沢市茅ヶ崎市相模原市大和市、海老名市、座間市綾瀬市)の「高座」というのは高句麗にちなんだ名前のようです。

それでは、今回訪ねた高麗神社と聖天院について簡単に述べます。まず、http://www.city.hidaka.lg.jp/0302/kankou/komajinjya.html:Title=高麗神社は若光の偉業をたたえて、崇めるために作られた神社です。高麗神社を訪ねると、「http://www.komajinja.or.jp/jan/event/etc/new1/b.jpg:Title=高麗郷文化フェスティバル」のイベントとして、「韓国伝統音楽サムルノリ」が演奏されていました。

そして、高麗神社から歩いて五分ほどの所にあるhttp://www.city.hidaka.lg.jp/0302/kankou/syoudenin.html:Title=聖天院(勝楽寺)は若光の菩提寺です。滅びた母国から若光が持ってきた聖天歓喜仏を祭ってあるから“聖天”院であるそうです。150段の階段を上り本堂がある高さまで来ると、周辺の景色が良く見渡せます。もう少し季節が過ぎれば、紅葉の景色が綺麗に見えるようになるのだと思います。