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人によっては「夏かし」と呼ばれているものです。

出石を訪ねる 10/12   ほぼ但馬地方への旅(4)

今回、訪れた出石は、他の4町(城崎町竹野町日高町但東町)と一緒に2005年に豊岡市と合併しました。現在の豊岡市は但馬の中心都市であり、かつての豊岡県の県庁があったので、この地域では昔から中心都市であったと思っていたのですが、そうではなかったということが調べるうちにわかってきました。廃藩置県が行われた1971年の時点では、出石町の人口の方が豊岡町の人口より大きかったようなのです。

但馬情報特急 - 豊岡県-豊岡県-但馬事典」によると、豊岡県が設立された1971年の時点では、豊岡県の中の自治体の中で出石町の人口は3番目であり、豊岡町は7番目だったようです。ちなみに、人口の1位から順に並べると、宮津、舞鶴、出石、篠山、福知山、生野、豊岡となります(全て町です)。このうち、兵庫県にあるのは出石(但馬地方)、篠山(丹波地方)、生野(丹波地方)、豊岡(但馬地方)です。したがって、但馬の中では137年の間に出石と豊岡の位置づけが逆転したことになります。この逆転には豊岡には鉄道(山陰線)が通ったのに対して、出石には通らなかったことが影響していると思います。

豊岡の駅から田園風景を見ながら30分程、バスに揺られると出石に着きます。出石は出石藩の城下町として栄えました。但馬には出石藩の他にも、豊岡藩、村岡藩、八木藩、竹田藩がありましたが、一国一城令(1615年)のために、出石城は但馬の国としては唯一つの城となったそうです。出石には但馬の国の一宮である出石神社 *1 もあります。なお、出石神社は出石の中心からは少し離れたところにあります。

出石は豊岡のように発展しなかったおかげで、昔ながらの建物や風景が今も残っています。出石城跡において、出石稲荷社に至る階段には幾つもの赤い鳥居が連なっており特徴的な景観になっています。息を少し切らせながら、この鳥居をくぐりぬけるのは、非常に風情がありました。城下の中央には、この町のシンボルである辰鼓楼(しんころう)があります。この建造物は、江戸時代には、辰の刻(午前8時)の城主の登城を知らせる太鼓を叩く櫓であったそうです。ここにオランダ製の時計が取り付けられたのは1881年であったそうです。



【参考情報】

*1:実は、但馬の国には一宮がもう一つあります。粟鹿神社(朝来市)です。