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人によっては「夏かし」と呼ばれているものです。

フィギュアスケートと仏像に対する私の評価の仕方

私は、絵画などの芸術作品や仏像を観る時には、作品についてのデータを考慮せずに、それらを観た時に感じたことのみによって評価しています。データと言うのは作品を作った技法、作者、時代背景などです。これらの情報は作品に商品としての価値をつける時には必要だと思います。また、美術の研究者にとっても必要であると思います。しかし、鑑賞するという立場に立った時には、必ずしもそれらの情報は必要がありません。もちろん、これらの情報を知ることにより、作品をより堪能できることは否定しません。

作品を観る時に、私は会場にいる学芸員?の方と話すことが、普通の方より多いです。普通の方は世間で評価が高い作品を中心に観て行くことが多いです。しかも、足早に作品を鑑賞していくことが少なくないです。これに対して私は、世間の評価とは関係なく、自分の気に入った作品を鑑賞するのに時間をかけます。その結果、学芸員?の方には面白い奴であると思われることが多いようです。不思議なことに、私が気に入った作品を、学芸員?の方も気にいっていることが少なくありません。

鑑賞対象の作品の中で、仏像というのは特別なものだとも思います。作られた目的が元々は祈りの対象になることであることと、商品として媒介される割合が少ないということが、他の部類の作品と違います。この結果、作品についてのデータを考慮せずに鑑賞する人の割合が多いです。そして、多くの人が鑑賞した結果の評価に基づいて、作品に対する評価が形作られていきます。その評価は時代が変わってもあまり変わらないように思います。


さて、フィギュアスケートを鑑賞する時も私のスタンスは同じです。私はフィギュアスケートの選手であったわけではありませんし、また当然のことながら、演技を採点する立場であったこともありません。したがって、演技に対するデータを考慮して、演技を観る必要はありません。ここにおいてデータというのは、選手が行う技の難易度などです。

例えば、基礎点としては、トリプルのジャンプの方がダブルより高いです。しかし、私はある選手のダブルのジャンプを、他の選手のトリプルのジャンプより高く評価することもあります。各演技要素の基礎点については理解しています。しかし、演技を鑑賞するという立場においては、それは鑑賞の助けにはなりますが、それにとらわれる必要はありません。そして、私が、私流に演技を評価しても誰も困ることはありません。
もちろん、私は、フィギュアスケートを鑑賞の対象として見なすだけではなく、スポーツとしても観ていますので、審判がつけた結果としての得点は敬意を持って受け止めています。

そのような立場で演技を見ていることが原因かは分かりませんが、私の評価は、TESに比べて、PCSの方との相関性が高いです。特に、今シーズンは、エッジに対する評価が厳しくなり、回転数に対する評価も厳しくなりましたので、私の評価とTESの相関性がさらに少し低くなりました。

エッジと回転数に対する評価が厳しくなったことは、厳密な判定をすることになったという意味では望ましいのかもしれません。ただ、フィギュアスケートを進展させる可能性としては、他の選択肢もあったと思います。その中から、これが選ばれたとの是非については、歴史の中で評価されることになると思いますので、それを待ちたいと思います。