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人によっては「夏かし」と呼ばれているものです。

豪雨の被害を被った佐用町(兵庫県)に再びひまわりの花は咲いたが、佐用町は犠牲者家族に訴訟をされた件

今年は長野県の明野(北杜市)にひまわりを見に行く予定でしたので、佐用町(兵庫県)で行われていた「南光ひまわり祭り」(7月17日〜8月1日)の記事に気が付きました。佐用町では、去年の8月9日に、台風9号による豪雨によって犠牲者20名(死者18人、行方不明者2人)を含む大きな被害を被りました。そして、佐用町南光にある ひまわり畑においても満開であった15万本のひまわりが壊滅状態になりました。地元の人の努力により、今年もこのひまわり畑に以前と同じようにひまわりが咲き、多くの人が観光に訪れているようです。

去年の豪雨の際の佐用町の被害は強く記憶に残っています。何故かというと、町の中心部が大きな被害を受けたことが印象的だったからです。多くの場合、昔からの町の中心部は災害に対処できるように作られていると私は把握しています。災害の度にこれを防ぐための対策が行われ、対策が取ることができないとみなされる場所にあった建物は移転されるからです。
現在の佐用町の中心部にあたる旧・佐用町(1928年に町制)は、兵庫県のレベルでは繁栄していた自治体ではなかったのですが、佐用郡においては、平福町(1928年に町制、現在は佐用町の一部)とともに発展していました。なお、平福因幡街道最大の宿場町であり、今もその街並みが残っているようです*1


去年の台風9号は、佐用町周辺に局所的な豪雨をもたらしました。そして、その雨量は佐用町の想定を超えているものでした。したがって、佐用町は、最大限に頑張ったとしても、大きな被害を免れることはできなかったと思われます。もちろん、ああしたらよかったのではないかというところは多々あると思います。しかし、一般的に、結果論から導き出すことができる最適な対処を自治体が実際に行うことはは不可能に近いです。同レベルの災害になんども遭遇している自治体は、最適に近い対処ができるかもしれませんが、この時の佐用町はそうではありませんでした。また、防災のために無尽蔵の予算を使えるわけではありませんし、職員が防災の専門家がいることは少ないと思います。

さて、この災害の特異的なことは、犠牲者20人の内、半数以上である12人が避難中に犠牲となったことです。この内の9人は、本郷地区の町営住宅にお住まいの方のようです。
犠牲者の9人を含む3家族(計11人)は、近くに流れている幕山川の水位が上がったので、佐用町による避難勧告が出される前に、自主的に避難所である幕山小学校に向かったようです。しかし、残念ながら、途中にある用水路の濁流に流されてしまったようです。なお、佐用町による避難勧告が出されたのは、3家族が避難をした後である21時20分でした。あと、県営住宅にお住まいの方で、避難を行わなかった方は命を落とすことはありませんでした。


今年の8月9日には、犠牲者を追悼する式典が佐用町で行われました。そして、翌日の10日には、避難中に亡くなった方の2家族(小林さん、井上さん)が、佐用町を相手に約3億980万円の損害賠償を求める訴えを神戸地裁姫路支部に提出しました。提訴の趣旨は、佐用町による避難勧告の遅れが多数の犠牲者を出したということのようです。避難勧告が早かったならば、3家族が用水路のところで被害にあうことはなかったということだと思います。

『「なぜ避難勧告遅れたのか」 佐用豪雨、遺族が町を提訴』
     朝日新聞(2010年8月10日19時55分)
兵庫県佐用町で昨年8月、18人が死亡、2人が行方不明になった豪雨災害をめぐり、同町の避難勧告の遅れが原因で被害が広がったとして、遺族9人が10日、国家賠償法に基づき同町に犠牲者5人の慰謝料など計約3億1千万円の支払いを求める訴訟を神戸地裁姫路支部に起こした。
 原告は当時16歳の孫ら家族2人を亡くし、1人が行方不明になった小林武さん(69)ら。原告側は訴状で、佐用町は昨年8月9日午後7時58分に佐用川が避難判断水位に達したことを県から伝えられたのに、地域防災計画で定めた避難勧告を発令したのは約1時間半後の午後9時20分だったと指摘。この結果、5人は自宅から避難途中に川からはんらんした濁流に流されたなどと主張している。
 小林さんは提訴後、「なぜ多くの犠牲者が出たのか、なぜ避難勧告が遅れたのか、この1年間、町に問いただしてきたが、誠意ある回答がなかった」と話した。庵逧典章(あんざこ・のりあき)町長は「訴状を見たうえで真摯(しんし)に対応いたします」との談話を出した。(茂山憲史)

http://www.asahi.com/national/update/0810/OSK201008100116.html

平成の大合併の結果、自治体の平均面積は増えました。このことが防災を難しくしているように思います。
佐用町の場合は、佐用町、上月町、南光町三日月町が2005年10月に合併してできました。現在の人口は約19400人です。人口が兵庫県(全部で41自治体)の37位であるのに対して、面積は10位となっていることからわかるように人口密度は低いです。
3家族が住んでいた町営住宅がある本郷地区は、上月町の外れにある集落でした。本郷地区を含む幕山村が 西庄村(おそらく、姫新線上月駅周辺)と合併して旧・上月町となり(1955年3月)、3年後にさらに久崎町(智頭急行久崎駅周辺)と合併して上月町になっています。

多くの集落*2が広い範囲にバラけて存在してる佐用町のような自治体の役所において、去年の豪雨のような緊急事態の際に、集落の状況を把握し、それぞれに対して適切な避難の指示を適切にするのは不可能に近いです。本郷地区のような町の中心部から遠い場所ではなおさらです。したがって、佐用町に責任を求めるのは酷なように思います。
結果論ですが、(私の把握している情報が正しいのであれば、)本郷地区における件は犠牲者の判断ミスに起因していると思います。具体的には、危険を犯してまで避難所である小学校に行くことにこだわったことだと考えます。この辺のことについて、静岡大学防災総合センターの牛山素行さんは、「自然災害科学研究西部地区部会報 第34 号 2010 pp.37-40」において以下のように述べています。

遭難者らは,避難勧告などの集落外からの警告的な情報に促されたのではなく,何らかの形で独自に避難を判断するに至ったものと思われる.
遭難者らが,洪水流を横断して,幕山小学校を目指した理由は正確にはわからない.幕山小学校は,本郷地区の指定避難場所として,各種ハザードマップにも掲載されていた.また,本郷地区では,地区内をさらに小さな地区に分け,それぞれについて避難場所を決め,「本郷防災組織図」として明示していた(図4).このなかで,幕山住宅地区の避難場所は,「(1)住宅広場,(2)小学校運動場」とされていた.D さんによれば,この場所の選定は,地区内で自主的に決めたとのことである.犠牲者らの避難行動は,決められた場所(自分たちで決めた場所)へ,決められた行動規範に従って行われたものである可能性が高いように思われる.

http://www.disaster-i.net/notes/20100212.pdf

この他に、今回の件で気になったのは、そもそも、何故、避難所が幕山小学校であったかということです。牛山素行さんの見解は以下のようなものです。

本郷地区を含む幕山地区は,地域での防災活動がかなり積極的な地区であったことが示唆される.しかし,同地区で想定していた「災害」は,地震災害,あるいは地震に伴う火災が中心だったように思われる.地震を想定した防災に関する熱心な取り組みが,今回の豪雨災害の被害軽減には直接効果をもたらさず,場合によっては,自分たちで決めた避難先へ積極的に向かったことにより,被害が拡大してしまった可能性もある.

http://www.disaster-i.net/notes/20100212.pdf

私は、本郷地区の件で佐用町に責任問題があるとすれば、避難勧告の時期ではなく、避難場所の選定を地域に任せてしまったことではないかと思っています。

*1:鉄道の駅が作られなかったために、発展からは取り残されたようです。なお、1994年は智頭急行が開通して、平福駅が出来ました。

*2:明治22年の時点で、約14個の自治体でした。