はてなDiaryから移行してみました。
記事一覧

人によっては「夏かし」と呼ばれているものです。

嘉穂劇場、麻生さんの街、緑のボタ山(筑豊〔福岡県〕への旅、ほぼ飯塚編)

福岡県の筑豊に行ってきました。筑豊は、石炭が主なエネルギー源である時代に、多くの炭鉱がある地域として栄えました。調べてみると、筑豊の中心的な都市は、飯塚市直方市田川市のようです。この内、直方は「のうがた」と読むようですが、私はなかなか覚えられません。


筑豊の代表的な川は遠賀川です。遠賀川は、飯塚市から直方市に向かって北に流れています。この遠賀川の支流である彦山川は、田川市を通った後、直方市遠賀川に合流します。鉄道ができるまでは、水運が重要な交通手段でしたから、直方市は交通の要所となっていたと思われます。そして、現在の筑豊の交通の中心も直方市となっているようです。しかし、経済的に発展しているのは飯塚市のようです。

私が今回、筑豊に入ったポイントもJR直方駅でした。具体的には、まず、下関駅から乗った山陽本線小倉駅において鹿児島本線に乗り換えました。そして、快速で数駅過ぎた後にある折尾駅において、福北ゆたか線に乗り換えました。内陸に向かって走る福北ゆたか線は、直方駅、新飯塚駅飯塚駅を通ります。

福北ゆたか線の始点の一つは、折尾駅の一つ前の黒崎駅であり、もう一つの始点が博多駅となっています。この区間の中の折尾駅から桂川駅の間が筑豊本線に該当するようです。地元の人でない私にとっては分かりにくいです。で、私は小倉駅で乗り換えに失敗してしまい、直方駅で降りたものの、観光する時間がなくなってしまいました。
JR直方駅は今年の4月29日から新駅舎が使われているようです。旧駅舎は取り壊し中とはいえ、デザイン的にも優れていたことが分かりました。なお、直方駅はJRと平成筑豊鉄道との乗り換え駅になっており、乗り換えは、建て替えられる前より便利になったようです。


飯塚市では、飯塚駅で下車し、芝居小屋である嘉穂劇場(1931年〜)を見学しました。炭鉱で栄えていた頃、筑豊には沢山の芝居小屋があり、大衆演劇や歌手の公演が行われ、炭鉱労働者で賑わったようです。嘉穂劇場の展示室には、それらの芝居小屋のあった場所を示す地図があり、それを見ると、20個以上の芝居小屋が筑豊全体に渡って存在していたことがわかりました。嘉穂劇場もそんな芝居小屋の一つでした。展示室にあるポスターには、水前寺清子八代亜紀などの演歌歌手の他に、松田聖子や、西城秀樹のものもありました。


飯塚市では、筑豊を代表する川である遠賀川に、西側から穂波川が合流します。飯塚駅の辺りでは、二つの川は離れている*1のですが、一駅北側にある新飯塚駅の辺りではかなり接近して流れ、一つながりの河川敷公園になっています。私が泊まった宿は、二つの川の右岸にある新飯塚駅の周辺であり、嘉穂劇場は左岸にあるので、この河川敷公園を歩きました。夕方だったので、散歩する地元の人が何人かいました。地元の人の憩いの場になっているのでしょうね。

新飯塚駅に近づき右岸に見えてきたのは、麻生病院という巨大な病院でした。そして、宿のそばにはスーパーマーケット「Aso」がありました。これらは、筑豊御三家の一つである麻生家の傘下の企業のようです。この地域から選出され、総理大臣となった麻生太郎さんも、この麻生家の一員です。地元の人に聞くと、病院とスーパーの他にも麻生家がオーナーである企業は沢山あるとのことでした。飯塚は麻生家の城下町と言う感じでした。なお、この日の夕飯はスーパーマーケット「Aso」で調達しました。


翌日は、飯塚市内にある旧住友忠隈炭鉱*2(1961年閉山)のボタ山を観に行きました。ボタ山とは、石炭の採掘に伴い発生する捨石(ボタ)を積み重ねたものです。この地域で有名である旧住友忠隈炭鉱のボタ山は141mの高さとのことです。
ボタ山が登場する映画として私が思い浮かべるのは「フラガール」(2006年)です。映画の舞台は、筑豊の炭鉱ではなく、常磐炭鉱(福島県いわき市)です。映画の冒頭において、後にフラガールになる主人公の紀美子(蒼井優)と早苗(徳永えり)がボタ山のてっぺんで会話をします。この時、早苗は紀美子にフラガールになる決心を話し、紀美子を誘います。そして、二人は常磐音楽舞踊学院の一期生になり、平山まどか(松雪泰子)の指導のもとでフラガールを目指します。結果としては、早苗は家の事情でフラガールを断念せざるをえなくなり、誘われた紀美子の方がフラガールのスターになります。
なお、筑豊の炭鉱が舞台になった小説としては、「青春の門」(五木寛之)が有名です。この小説は映画化、テレビドラマ化されたのですが、私は映画版に大竹しのぶさんが出演されたこと以外は、あまり憶えていません。


旧住友忠隈炭鉱のボタ山は、飯塚駅から見えはしたのですが、何かぼやーっとしてよくわかりませんでした。ボタ山のそばに行ける公共交通機関はないようなので、飯塚駅からタクシーに乗りました。で、ボタ山を近くから見ると、山の全面に木が生えているだけでした。期待した風景とは違い、少しがっかりしました。ある意味で、「何かぼやーっとして…」という印象は的を得ていたのかもしれません。

閉山から50年近く経ったとはいえ、表面が見えないほど木が生い茂ってしまっている姿を見ると、自然の力はスゴイなぁと思いました。かつては、このボタ山に登り、紀美子と早苗のように将来のことについて語り合った若者がいたのでしょうが、現在の緑のボタ山からは、想像ができません。なお、タクシーの運転手の人が田川市出身であり、子供の頃に(緑でない)ボタ山に登った時のことを話してくれました。

で、この後、その田川市に向かいました。これについては以下の記事にあります。

*1:遠賀川飯塚駅の東、穂波川は西を流れています

*2:明治27年に、麻生太吉から住友に譲渡されたとのことです。