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人によっては「夏かし」と呼ばれているものです。

「昭和の町」のはずれで、ハモ(鱧)を食べました(大分県 豊後高田市)

ハモ(鱧)というと、関東の生まれである私にはそれほど馴染みがない魚です。食べたことはあるのですが、京都の知り合いを訪ねた際に、高級料理屋が多い先斗町においては庶民的な料理屋で一度食べたことがあるだけです。そのハモを、「昭和の町」(大分県 豊後高田市)のはずれにある日本旅館で食べることになるとは、思っても見ませんでした。しかも、ハモの“しゃぶしゃぶ”です。宿の女将さんに聞くと、この辺ではハモがよく獲れるとことでした。ポン酢につけて美味しくいただくことができました。

豊後高田のバスターミナルの近くにある「昭和の町」に行く時には、JRの宇佐駅(日豊本線)からバスに乗ったので、「昭和の町」の辺りは内陸にあるのだと思い込んでいました。でも、地図を見るとかなり海に近いです。それから、ネットで調べると、豊後高田市とは宇佐市を挟んで西側にある中津市はハモで有名なことがわかりました。そう言えば、中津城を観るために降りた中津駅には、水槽に正体不明の生き物がいたような記憶があります。ネットで調べると、この生き物はハモであったようです。

ハモの"しゃぶしゃぶ"については、霧島酒造さんのサイトに詳しくかいてありましたので、リンクを貼っておきます。


そろそろ、豊後高田市に来た本来の目的である「昭和の町」について書くことにしましょう。

豊後高田市のバスターミナルの近くにある商店街は、昭和30年代までは国東半島で一番賑わっていた商店街だったそうです。このバスターミナルは、今と同じように国東半島北部のバス交通の要だったでしょうし、昭和40年までは豊後高田と宇佐神宮をJR宇佐駅を介して結ぶ鉄道もありました。しかし、郊外にスーパーマーケットが出店され、過疎化が進むと、その賑わいが嘘のように寂れてしまったようです。
「昭和の町」というのはこの賑わいを再び蘇らせようという町おこしのプロジェクトでした。

2001年(平成13年)に開始されたこのプロジェクトは、昭和30年代以前の古い建物が残っていることを生かし、訪れた人に懐かしい昭和を味わってもらうことを、商店街の呼び物にしようとするものでした。昭和30年代を遅れていた時代としてではなく、モノは豊かではなかったけれど生きている実感があった懐かしい時代として肯定的にみられるようになったのは、21世紀になってからなのかもしれません。そういう意味では、タイミングがよく行われたプロジェクトだったのかもしれません。地元の人の努力の結果、「昭和の町」は、現在では年間で30万人もの人が訪れる観光地になったようです。そして、地域活性化の成功例として全国から注目されているようです。


「昭和の町」は、昭和30年代に子供時代を過ごした人たちにとっては、懐かしい気持ちで“ひととき”を過ごせる所だと思います。そして、それ以上の年代の人もそれなりに楽しむことができると思います。
しかし、「昭和の町」を楽しめるのは、もっと幅広い年代層なのかもしれません。1963年を舞台にした映画「コクリコ坂から」がヒットしたことから推測すると、この時代に生まれていない人でも、この時代を懐かしく思うような時代になったような気がするからです。


「昭和の町」では、夕方5時過ぎになるとほとんど店が店を閉じるようです。昭和30年代では、今よりも早い時間に商店街の店は店を閉じたでしょうから、なんとなく、それらしげに感じました。この時代では、ほとんどの家庭において、父親だけが外で働き、母親は家で家事をしていたと思います。父親は今よりは家の近くで働き、また、外が暗くなる頃には仕事が終わる職業が多かったのではないかと推測します。このため、夕食の時間は今よりも早く、母親は5時には食事の準備を始めていたのかもしれません。もしそうならば、5時過ぎにほとんどの商店が閉じていても問題がなかったのかもしれませんね。

ともあれ、この事態においては、夜は早く寝て、朝は早く起きるという生活が行われていたと思います。夜の12時を過ぎた現在、ブログを書いている私は、昭和30年代を懐かしく思っても、この時代にタイムスリップしたならば、適用できるでしょうか? 案外、すんなりと適応してしまうような気もしています。