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人によっては「夏かし」と呼ばれているものです。

「なぜ津波で洗われる地域に家を作ったのか?」(日経ビジネスオンライン)を読んで

日経ビジネスオンラインの「なぜ津波で洗われる地域に家を作ったのか?」という記事を読みました。伊東乾さんという人の署名付きの記事です。この人は、日経ビジネスオンラインに一連の記事を書いており、この記事もその一つとして、2012年3月27日に掲載されています。

この記事は、東日本大震災の際に起きた津波で被害を受けた陸前高田市について書いています。著者の主張は、陸前高田市において津波の被害にあった地域は、以前は田んぼであったことから、何で「なぜ津波で洗われる地域に家を作ったのか?」ということです。

主張の根拠として、著者は一つの地図を持ち出しています。この説明に間違えがあるとまずいので、著者の文章を引用します。

この地図は、元来は大正2(1913)年に測量された国土地理院発行5万分の1「盛」と「気仙沼」を、昭和8(1933)年時点の土地利用にあわせて改めた原図と、今回の震災を受けて日本地理学界災害対策本部・津波被災マップ作成チームが作った「2011年3月11日東北地方太平洋沖地震に伴う被災マップ」の情報から、茅根先生の指導下、東京大学のスタッフが作成した、陸前高田被災状況を示すもの

なぜ津波で洗われる地域に家を作ったのか?:日経ビジネスオンライン

この地図のオリジナルなものは以下の所にあります。

著者は、この地図を基に、「町田高」と書かれた山際の地域と、左側の、やはり山際にあたる「今泉」のエリアのほかは、「海辺のたんぼ」であり、人家がないと説明しています。このあと、何枚かの年代が違う土地利用の地図(1951−2年、1967年、1979年、1999年、)を基にして、「海辺のたんぼ」が市街地化されていく推移を説明しています。


著者は以下のような認識を基にして、記事のタイトルにあるように「なぜ津波で洗われる地域に家を作ったのか?」と主張をしています。

たった30年前、ここはいまだ田んぼでした。50年前も、80年前も、実は1300年前と大差なく、このエリアは「ときおり大水の出る、人家を作ってはいけない海辺の田んぼ」であり続けてきた。

なぜ津波で洗われる地域に家を作ったのか?:日経ビジネスオンライン

突き詰めれば、筆者の主張が妥当であるか否かは「ときおり大水の出る、人家を作ってはいけない海辺の田んぼ」が正しいか否かによると思います。これについては、文献を調べれば分かるのでしょうが、残念ながら、私にはそれだけの時間がありません。


で、私の推測に基づく意見は以下の通りです。

この地域は、地元の方々には申し訳ないのですが、田舎だったのだと思います。そして、田舎には街道沿いの宿場しか大きな集落がなく、この辺では、今泉宿と、高田宿だけだったということだと推測します。「ときおり大水の出る、人家を作ってはいけない海辺の田んぼ」という説は、文献的な裏付けがない時点では、単なる仮説です。もし、文献があるのならば、引用した方が良かったと思います。

なお、今泉宿は、旧・気仙町の中心、高田宿は旧・高田町の中心でした。陸前高田市は、高田町、気仙町を含む3町5村が1955年に合併してできました。陸前高田町の著名な祭りとしては、「うごく七夕」(高田町)と、「けんか七夕」(気仙町)があります。