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人によっては「夏かし」と呼ばれているものです。

「砂糖の世界史」(川北稔 著)を読んで、紅茶に関する疑問が解消したことなど

「砂糖の世界史」(川北稔 著、岩波ジュニア新書、1996年)を読みました。

砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書)この本を読むことにした主な理由は、紅茶に関しての疑問を、解消することでした。

紅茶を飲む際には、色々と作法があるようです。でも、私は、自宅において、コーヒーサーバに茶葉を入れたあとに、お湯を注いで作ったものが、一番美味しいと思っています。そして、砂糖は入れません。つまり、ストレートで飲むということです。

茶葉の原産地である東洋では、緑茶はストレートで飲むことが一般的のようです。しかし、紅茶には、砂糖を入れたり、レモンを加えたりして、飲まれています。さらに、紅茶の茶葉にフレーバーを加えたものが売られています。フレーバーをことは、紅茶の本来を味わうという観点からすると、マイナスのように私は感じます。

紅茶に関する教室などでは、紅茶を飲む作法について教えているところがあるようです。でも、紅茶の作法は、紅茶の味を高めるようには見えません。味覚ではない他のことの優先順位を、高くしている感じがします。


最近は、砂糖に対する風当たりが強いです。先進国においては、砂糖は肥満をもたらすという認識があるからです。

WHOのプレスリリース(2015年3月4日)では、摂取するエレルギーの中におけるフリーシュガーによる寄与が10%以下であることが望ましく、5%(ティースプーン6杯)以下であれば、更に健康において有益なことをもたらすとしています。

なお、このプレスリリースについてのマスコミの記事には、誤解を含むような記載が含まれています。WHOのプレスリリースへのリンクを含めた記事を書いていますので、紹介しておきます。


しかし、このように、砂糖への風当たりが強くなったのは、ごく最近のことです。日本でも、栄養が十分にとれていない時代があり、そのような時代においては、豊かさの象徴のように見なされていました。その度合は、時代を遡るとさらに強くなります。

この本によると、17世紀の始まりのヨーロッパでは、砂糖の貴重価値は高かったようです。何故ならば、砂糖の原料となるサトウキビは、ヨーロッパには原生していないからです。

サトウキビ栽培に適している地域は、カリブ海など温かい地域です。ヨーロッパの国々は、そこにサトウキビのプランテーションを作りました。必要なことは、遠い生産地から運んでくることだけはありませんでした。そこで働く人は、遠いアフリカから連れてきた黒人奴隷でした。酷使されていたために、おそらく、補給も必要だったと思います。


このようなに希少あったために、砂糖は、実質以上に価値を持っていたようです。例えば、薬や神秘的なものとしても、扱われたようです。

薬と見なされたことには、当時の病気は栄養不足がもたらすことが多かったことが関係しています。このため、体内におけるエネルルギー源となる砂糖を摂取することにより、回復することが多かったようです。結果として、薬と見なされるという結果になりました。

砂糖が神秘的なものと見なされたことには、白いことが関係しているようです。これは、日本において、塩が清めるために使われていることに似ています。相撲取りが対戦の前に塩を撒くことは、土俵を清めるためです。

砂糖の場合は、パーティーにおけるデコレーションを作るためにも使われたようです。貴重な砂糖を大量に使うことは、豊かさを誇示するという意味にもなったと思います。結婚式における巨大なケーキも、この流れのようです。


紅茶も、砂糖と同様に、この時代のヨーロッパでは高価なものでした。自生していないので、砂糖と同様にプランテーションにおいて作られて、遥々運んでくる必要があったからです。

茶葉も砂糖と同様に、薬と見なされたようです。現在では、茶葉に薬効効果があることが、科学的に証明されています。この薬効効果は、この時代においても、経験的に知られていたと推測します。しかし、希少であることにより、過大評価されていたことも事実のようです。


紅茶を飲むことは、特にイギリスの上流階級に広まったようです。フランスではそれほどではなかった理由を、ワインがあったからだと、本では説明したいます。

イギリスの上流階級に紅茶が広まったことには、希少品である紅茶を飲むことが、ステイタスシンボルだと見なされたことが、極めて大きいようです。本において、“とんでもないこと”と表現されている紅茶に砂糖を入れることは、“上等の酒に金箔を入れて飲むこと”に似ていると、説明がされています。

飲むことがステイタスシンボルである紅茶に、同様に希少である砂糖を加えることは、ステイタスシンボル性を更に高めると解釈されたようです。結局、紅茶の味を高めるために砂糖を入れたのではないということです。紅茶を飲む作法についても、味を向上させることよりも、ステイタスを高めるという趣旨が強いのでないかと、推測します。

そういえば、近くの自動販売機では、「ワンダ 金の微糖」(アサヒ飲料)という缶コーヒーが売られています。なお、コップに出してから飲んだことがありませんので、金が入っているかは分かりません。

紅茶にフレーバーを入れることも、さらに価値を高めるためだったのだろうと思います。これは、茶葉が容易に手に入る地域で起きないような発想のように思います。

ミルクを入れることについては、よく分かりません。牛乳が普及していない時代の日本においては、紅茶やコーヒーにミルクを入れることは付加価値をもたらしたと思います。しかし、牛乳はイギリスにおいては、古くから飲まれていたようですから、これほどの付加価値は、なかったように推測しています。


このように、イギリスの上流階級において、紅茶に砂糖をいれるという発想が生まれたことは、砂糖自体の特徴ではなく、この時代における希少性のためでした。これに対して、庶民にも広まったことには、砂糖の特徴である高カロリー性が重要な意味を持ったようです。

希少であった紅茶も、時の経過と共に供給が増えたことによって、庶民においても、段々と手に入れられるようになってきます。上流階級へのあこがれも、庶民における普及を後押ししたと思います。しかし、更に贅沢品である砂糖を、必要性もなく入れることは、余程のことがない限りはなかったと思います。

庶民においても、紅茶に砂糖を入れることをもたらしたのは、18世紀の半ばにイギリスにおいて始まった産業革命のようです。産業革命を担ったのは、農村部から都市部に移り住んだ労働者でした。しかし、都市部の住宅事情は十分でないために、シッカリとした料理を作ることができる住居に住む人は、多数派ではなかったようです。

工場に決まった時間に出勤して、長時間労働をするためには、出勤の前にシッカリとした食事を取ることが必要でした。料理を作る十分な環境がない労働者にとって、紅茶に砂糖を入れて飲むということは、手軽に栄養を取ることを可能にしました。彼らは、お湯を沸かすことができるくらいの住居には住んでいたようだからです。

どれくらいの割合かは分かりませんが、工場でもティーブレイクがあったようです。そして、用意された紅茶には砂糖が入っていました。工場側の意図は分かりやすいです。


これまで、私が興味がある紅茶という観点において、「砂糖の世界史」に関することを記載しました。

世の中には、西洋のものをありがたる人があります。これには、紅茶文化も含まれます。この本を読むと、紅茶をありがたがる理由の幾つかは、イギリスがお茶の原生地ではないことに起因していることが分かります。そして、結果的に醸しだされているハイソ感が、紅茶がコーヒーよりも普及しなかった要因になっています。


文頭に書きましたが、紅茶は、コーヒーサーバに茶葉を入れてからお湯を注ぐだけでも、十分に美味しく作れます。基本的に、お茶と同じですが、冷ました湯を使う必要がないので、より簡単です。紅茶は、緑茶とは違って、沸かしたての湯(fresh boiled water)を使うことが望ましいとされているいるからです。

私の感覚では、自宅で作る紅茶は、レストランなどでティーパックを使って作られた紅茶よりは、美味しいです。これは私が、レストラン等の雰囲気によって、より美味しく感じるタイプでないことが影響していることは、もちろん、理解しています。


ーーー以上ーーー