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人によっては「夏かし」と呼ばれているものです。

好評であった「HKT48指原莉乃座長公演」が無事に終了し、高い評価を得たこと

「HKT48指原莉乃座長公演」(4月8〜23日、全15回)は、無事に終了しました。

一応説明しておくと、座長公演とは、舞台と歌謡ショーから構成されるものです。そして、両者において、座長が主役です。今回の舞台では、指原莉乃がキヌタ(主役)を演じ、ヒロインである阿国を、宮脇咲良が演じました。

HKT48、出演したメンバー、特に座長を務めた指原莉乃の評価は、この講演によってかなり上がったようです。座長を務めることの重要さと大変さを理解している人は、指原莉乃を高く評価したようです。実際、彼女は期待以上のことを成し遂げたと思います。

多くのHKT48メンバーは、ドラマを含めて、芝居をする経験は殆どなかったと思います。このため、15回も舞台に立てたことは、彼女たちにとって貴重な経験になったと思います。そして、今迄はHKT48選抜に入ることがなかった今田美奈を発見した人は、少なくないと思います。彼女が与えられたチャンスを活かしたことは、他のメンバーにもプラスの影響があると思います。


この講演に対する評価があまりにも高いために、AKB村の住民の中からは、これを否定するような意見が湧いてきました。こんな高い評価はありえないので、何かがオカシイという考えに基づくものだったようです。ある意味で、AKB48グループのポテンシャルを否定するような考え方ですが、村社会にはよくあることです。


この公演に否定的な考えを発した人が、講演を観たかというとそうではありません。AKB村のおける価値基準に基づく、想像に基づいた見解です。

この公演を観ずに、高い評価はオカシイとする人にも、彼らなりの根拠があるようです。その根拠は、「AKB49〜恋愛禁止条例〜」という舞台に基づくものです。彼らは、今回の公演と、「AKB49〜恋愛禁止条例〜」が同じ次元だと見なしているようです。しかし、外部の人の感覚では、大きな違いがあります。

AKB49〜恋愛禁止条例〜」の題材は、残念ながら、AKB48グループに興味がない人は、ほとんど興味を持たないものでした。出演者もほとんどメンバーだけだと思います。これは、テレビドラマの「マジすか学園」シリーズと同じです。ネットにおけるドラマの愛好家によるレビューは、このドラマを評価対象にしていません。つまり、AKBドラマという特殊なカテゴリーに分類されており、スルーされているということです。

ところが、「HKT48指原莉乃座長公演」は、全く違います。まず、脚本・演出は有名な横内謙介が務めました。次に、約半数の出演者はHKT48以外の役者です。さらに、会場は由緒ある劇場である明治座です。

これらのことによって、今まではAKB48グループに関心を持たないかった人も、今回の公演を観に行ったようです。AKB村には、これらの人による高評価は伝わっていないのだろうと思います。村社会における報道機関が都合が良いことしか伝えないことや、住民が興味がないことを知ろうとしないことは、よくあることだからです。

この公演に関してAKB村の住民が認識している情報のほとんどは、彼らがHKT48ファンだと理解している人達によるものなのだと思います。このために、身内びいきの評価がされていると邪推する人がいるのだと思います。


「HKT48指原莉乃座長公演」に対する高評価を、“最初は”、上手く受け入れられなかった人もいます。この中には、座長である指原莉乃が含まれています。その時点における彼女の認識は、自分は課せられたことについては、十分以上のことを果たしたが、それ以上の意味合いは感じないというものだと思います。

指原は自己評価が低い傾向があります。それだけでなく、今まではドラマと舞台にはあまり関心がなかったために、今回の公演に対する高い評価を理解するだけの基盤を持っていなかったようです。

しかしながら、彼女が敬意を持つ芸能人による評価を聞いて、彼女も段々と理解し始めたようです。例えば、タモリに、明治座で座長を務めたことを凄いと評されたことが、伝わってきています。


指原莉乃の自己評価が低くなった半分くらいの原因は、AKB48グループのプロデューサーである秋元康にあると私は思っています。例えば、彼女がAKB48選抜総選挙(2013年)にトップになった際にも、少なくても当日は、好ましくない結果と考えていると受け取られるような態度をとっています。このような態度をとられれば、自信を持てなくなっても不思議がありません。

このようなことがありますので、「HKT48指原莉乃座長公演」における彼女を、秋元康が高い評価をしていることが、明示的に示される必要があると、私は考えていました。しかし、直接に彼女に話しても、効果的ではないようにも思っていました。

秋元康が採った策は、さすがだと思わせるものでした。読売新聞の日曜版における彼の連載記事「一分後の昔話」(月1回)における題材(2015年4月26日)を今回の公演にして、座長である彼女のことを褒めたのです(題「可能性の扉 」)。この記事を読む人は多いでしょうから、結果的に、直接に評価を伝えるよりも、大きい効果があるように思います。

以下に、その一部を引用します。

 指原は、元々、勘のいい人間である。稽古をするうちに、あっという間に、座長として何をすべきかを読み取り、その責を全うした。横内謙介氏の指導の賜物ではあるが、指原の使っていなかった感性が覚醒したのである。 明治座で何十年も舞台のエレベーターを操作している裏方さんが「あのコはなかなかのものだね」と言ってくれていたというのを聞いて、僕は嬉しかった。そんな目利きが、指原の可能性を認めてくれたのだから。
 若さとは、まだ、自分の能力に気づかない期間のことだ。歳を取れば、否応なしに気づかされてしまう。 いや、本当は、どんなに歳を取っても、まだ、自分でも気づいていない能力は眠っているはずだ。 若者よ、いや、若くはない人も(僕を含めて)、まず、やってみよう。


ーー以上ーー