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人によっては「夏かし」と呼ばれているものです。

紅白歌合戦に初出場したレベッカについての記憶

年末のことになりますが、レベッカ紅白歌合戦に出演しました。

観たのはリアルタイムではありません。何かの気の迷いで録画した紅白歌合戦を、暇なので早送りした際に見つけました。


歌った曲は、代表曲である「フレンズ」(1985年)でした。VOCALは、当然、当時と同じ、NOKKOでした。でも、正直なところを書くのならば、別物だと感じました。切れ切れに当時を彷彿させるとところはあったのですが…。

確かに、曲名は「フレンズ」ですし、綾瀬はるかは、「4人と友情の歌」と紹介しましたが、そういう歌ではないのですよね。

絶頂期であった1980年後半にはお呼びがかからずに、「フレンズ」から20年経った今年にお呼びがかかることは、不可解なことです。NHKの事情もあるのだろうと思います。

しかしながら、メンバーがOKをしたのならば、スッカリ忘れていた私がとやかく言うようなことではありません、でも、1985年当時のNOKKOの歌声を聞く機会があるならば、是非聴いて欲しいと思います。陳腐な言い方ですが、当時のNOKKOはスゴかったのです。


以下、ややおぼつかない記憶に基づいて、当時のことを振り返ることにします。

1984年にデビューしたレベッカは、この「フレンズ」で世の中に知られるようになりました。この曲は、イントロが当時としては先端的に感じました。

そして、ボーカルのNOKKOは、キュートであり、満たされていないメス猫的な雰囲気でした。まさに、「WILD & HONEY」(あえて、説明せず)という感じだったと思います。

1988年には大きな存在になっていたのだと思います。この年に出演したSONYのミニコンポ「Liberty」のCMには、「レベッカは リバティ の 中にいる。」言葉が出てきた記憶があります。

解散したことは何故か覚えていません。調べてみると、1991年2月に解散したようです。そして、今年の8月に再結成ライブがあったそうです。

1985年というと、おニャン子クラブを思い浮かべる人が多いようですが、当時の私は、関心がありませんでした。私にとって1985年は、レベッカの年でした。


私がレベッカを発見したのは、「ミュージックトマトJAPAN」(TVK)という番組でした。この番組は当時としては珍しかったMVを流す番組であり、マイケル富岡がVJをしていました。

ご存じない方もいらっしゃると思うので説明しておくと、TVKは神奈川県のUHF局です。不思議なことは、レベッカを発見した時期には、私は神奈川県には住んでいなかったことです。もしかしたらば、30年前なので、少し記憶が混濁しているのかもしれません。


私がレベッカのライブに行ったのは「フレンズ」が発売される前でした。記憶が正しければ、1985年の5月頃だったと思います。

ライブは、その都市では若者が集まりがちなスペースで行なわれ、自由席でした。スペースには、極めて早く行ったのではないのですが、関係者席の後の列のほぼ中央に座れました。おそらく、レベッカはその都市では、まだ、あまり知られていなかったのだろうと思います。

ステージに登場した彼女は、ピンクのワンピースの上にREBECCAというベルトをしていたような気がします。当時のステージは、酸欠ライブと呼ばれていました。ステージが盛り上げることも事実なのですが、酸欠になるのは観客ではなくNOKKOでした。簡単に言うならば、当時は、ステージパフォーマンスのレベルに、彼女の体力が追いついていなかったのだと思います。


ラジオでは、後藤次利NOKKOがパーソナリティーをしていた「気分はハートビート」(FM東京)の愛聴者でした。なお、調べてみたところ、この番組は1985年から5年間続き、パーソナリティーの組み合わせも色々と変わったようです。


ーーー以上ーーー