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人によっては「夏かし」と呼ばれているものです。

偶然に観た「スタジオパークからこんにちは「行楽シーズン!福岡&糸島・ブラ歩き旅!」(2016年4月5日午後、NHK)が予想外に良かったこと

偶然にスタジオパークからこんにちは「行楽シーズン!福岡&糸島・ブラ歩き旅!」』(2016年4月5日午後、NHK)を観ました。


スタジオパークからこんにちは」のこの回は、のNHK福岡が地元向けに放送した番組「きん☆すた」(毎週金曜夜放送)の2015年10月9日(金)の回を放送したようです。この回についての「きん☆すた」の番組ブログを貼っておきます(番組は3月で放送終了)。

www.nhk.or.jp


スタジオパークからこんにちは」については殆ど知らないですが、4月から、通常は地方局だけで放送する番組を放送するコーナーがあるようです。様々な地方のことを、地元の視点で観ることができるので良い企画だと思います。

なお、「きん☆すた」(出演者、ガレッジセール、雨宮萌果アナ)は3月で放送終了しているので、番組の宣伝というわけではありません。おろらく、評判が良かったので選ばれたのだろうと思います。


該当回では、糸島と福岡市内(中洲と中洲川端あたり)をロケしています。糸島編では山内惠介(演歌歌手)[糸島出身]と雨宮萌果アナ、福岡市内編では川田広樹(ガレッジセール)と坂口理子HKT48)がレポをしています。なお、スタジオでの収録には、坂口理子と共に坂口健二郎(音楽プロデューサー)が参加しています(最後に1人追加)。

どちらも面白かったのですが、この記事では福岡市内編について主に記します。


最初に、糸島編について少しだけ述べます。糸島がテレビで扱われる際は、物産店(冬には牡蠣小屋)の紹介が中心になりがちな印象があります。今回は、それとは違う一面があったので私にとっては有意義でした。地元出身の山内惠介のお陰です。
ロケでは、彼が高校時代に、散歩中に歌を練習していた田圃道に行きます(稲穂を客に見立てて練習)。その他、糸島野菜の販売所(となりのカフェでグリーンカレーを食べる)、ハーブガーデン(アイスクリーム[ミント]を食べる)、白糸の滝(高校の恩師に会う)にも行きました。
ちなみに、私は糸島市に行ったことがあります。とはいえ、駅前に設置された牡蠣小屋で、牡蠣などを食べただけです。糸島は広く、公共交通が都会ほどは整っていないので、車を基本的に使わない私にとっては、観光が難しい自治体なのです(以下には、糸島の記載はなし)。


福岡市内編は、去年の9月19日に放送された、プラタモリのスピンオフのようなものです。

今回は、坂口理子の希望により、二人(川田、坂口)は櫛田神社にまず向かいました。プラタモリを観た彼女は、そこでタモリが食べていた焼き餅を食べてみたいということでした。

ところが焼き餅屋さんは休み(定休日:月曜)でした。二人が困っていると、プラタモリにおいて登場した、福岡市博物館の二人組の学芸員(本田浩二郎、宮野弘樹さん)が都合よく現れます。ちゃんとマイクをつけているので、もちろん、たまたま、そこに居たというわけではありません。

このあと、川田&坂口は、二人の案内で、プラタモリでは扱わなかった、(番組の表現によると)ディープな博多を巡ることになります。


一行がまず向かったのは龍宮寺です。学芸員の説明によると、この寺の(ディープな)見どころは人魚塚です。ここに、鎌倉時代に、博多に打ち上がられた人魚が葬られています。

一行は寺の中に入り、特別に、人魚の骨を見せてもらいます。でも、人魚にしては変です。デカすぎるのです。

人魚の絵が描かれていた掛け軸には、長さが81間と記載がしてありました。1間は1.8mなので、145.8mになります。この長さを坂口理子は、「プールでいうと3回泳ぐ、50mを。」と上手く表現しています。

一行は、人魚が打ち上がられた場所に向かいます。しかし、その場所(楊ヶ神社跡)は、オフィス街の真ん中(博多渡辺ビル辺り)です。したがって、当時が想像できるようなものはありません。ナレによると、この辺は中世(鎌倉時代)においては、二つの砂丘に挟まれた入江(潟)のような場所だったようです。


この後、一行は、中洲(福岡市の位置地域)に向かいます。

江戸時代の初めには、現在の中洲の一部分(現在の1/10)のみが、博多の町(商人)と福岡の町(武家)を隔てる那珂川の、小さな中洲として存在したようです。埋め立てが行なわれ、江戸時代の終わりには、現在の大きさとほぼ同じになったようです。

なお、地図で確認すると、櫛田神社と龍宮寺は那珂川の右岸(博多側)に該当しました。調べてみると、中洲川端という地名でした。


中洲で最初に向かったのは、下流側の端にある「七代目市川團十郎博多来演之碑」(中島公園)です。ここでは、江戸時代に、当時の歌舞伎のスーパースターである七代目市川團十郎の公演があったそうです。

この頃の福岡は、財政難であり、経済の活性化のため案を募集したそうです。そして採用されたのが、七代目市川團十郎の公演の招致でした。その場所に、ここ選ばれたのは、使える土地があったと共に、福岡と博多の両方からのアクセスが良いためのであったため、とのことでした。

公演は大盛況であり、どのくらい継続したかは分かりませんが、経済が活性化したようです。それが、その後における、中洲の発展のキッカケになったのだと思います。なお、中洲における案内は、益田啓一郎さん(近代史研究家)が行いました。


中洲には明治43年に路面電車が開通し(東中洲電停)に、更に賑わうようになるキッカケになったようです。上にも書きましたように、博多と福岡からのアクセスがよいからです。

立地を活かして、映画館をはじめとする多くの娯楽施設が作られたようです。そして、その前後に立ち寄る、飲食店街も発展したようです。なお、路面電車は、以下の資料によると、昭和50年に廃止になったようです。


中洲における映画館は、大正二年に世界館という名称のものが、初めて作られたそうです。その後、館数が増え続き、1960年代には21館を数えたそうです。

当時の映画館の場所を示した地図が案内人によって示されました。川田広樹はそんなに需要があったのかと驚いていましたが、テレビが普及する前は大きな需要があったのだと思います。

テレビ放送が始まったのは1953年です。しかしながら、ほとんどの家庭にテレビが普及するまでには時間がかかりました。ちなみに、朝ドラ「てるてる家族」(2003.10-2004.3)が描いた家庭では、テレビを観ることが売りの喫茶店をしていました。

現在は、映画館は天神に多いようですが、昭和40年代までは中洲の方が有名だったそうです。ゲストの坂口健二郎は、このロケを観て、以前は中洲に観に行っていたことを思い出したようです。しかし、20歳を少しだけ超えた年代である、坂口理子は、映画を観るのはもっぱら天神であり、中洲に観に来たことはないとのことです。

残念ながら、現在、中洲にあるのは1館(大洋映画劇場)になったようです。ロケは、その大洋映画劇場で終わります。レトロな特徴的な建物であり、坂口理子も建物自体は認識していたようです

www.nakasu-taiyo.co.jp


大洋映画劇場は、内部にも、古き良き時代の雰囲気が溢れていました。ロビーでは、創業70年を記念して、今までの歴史を示す展示が行なわれていました。経営者である岡部章蔵さんによる解説が行なわれ、昭和32年には一日の動員が1万388人という記録を作ったことが語られていました。


スタジオに場面が移り、人魚の話で盛り上がります。ロケでは145.8m(81間)を実感するために坂口理子が1mの歩幅で歩いたそうで、その際の写真が示されました。なお、145.8mを歩く間にコンビニが2軒あったそうです。

このあと、スタジオには、ロケにも登場した本田浩二郎さん(学芸員)が登場します。彼が登場の際に運んできたのは、プラタモリでも登場したHKT(博多遺跡)の砂です。博多遺跡にはHKTに続くシリアルナンバーが付けられており、これは昭和52年から開始したようです。

プラタモリでも、坂口理子が所属するHKT48との名前の類似性でネタになっていました。ロケにHKT48のメンバーが起用されたのは、このことが関連している可能性があります。

タモリHKT48のことを知っていることは不思議なことではありません。HKT48メンバーである指原莉乃が「笑っていいとも」のレギュラーでしたし、HKT48は、彼がMCを務める「ミュージックステーション」(テレビ朝日)に数回登場しているからです。


ーー以上ーー