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人によっては「夏かし」と呼ばれているものです。

「うたコン「心つなぐ元気ソング~九州に愛をこめて~」」と、三百六十五歩のマーチ(水前寺清子)

熊本地震の余震は収まりつつあるように見えます。5/10(火)には、有感地震の回数が初めて20回を切り、翌日もこれに続きました。
そのことを予測したとは思えませんが、5/10(火)にはNHKで、「うたコン「心つなぐ元気ソング~九州に愛をこめて~」」が放送されました。

私は、この放送は地震の沈静化を受けて企画された特別番組だと、始めは思っていました。でも、実際は、3月まで放送されていた『NHK歌謡コンサート』を継承する番組である「うたコン」のスペシャル版でした。なお、「うたコン」の司会は、谷原章介橋本奈穂子であり、今回もこの二人が努めました。


今回の出演は、以下の面子でした。

石川さゆり,HKT48,郷ひろみコブクロ坂本冬美,島津亜矢,高橋みなみ,T.M.Revolution,氷川きよし一青窈藤井フミヤ南こうせつ(あいうえお順)

この中には多くの九州出身者が含まれています。具体的には、石川さゆり熊本県)、HKT48(福岡県)、郷ひろみ(福岡県)、島津亜矢(熊本県)、氷川きよし(福岡県)、藤井フミヤ(福岡県)、南こうせつ大分県)です。
そして、HKT48には熊本県のメンバーがおり、また、指原莉乃大分県出身です。なお、コブクロのメンバーについては把握していません。

私にとって興味深かったのは、出演者が選んだ元気になれる曲というコーナーでした。曲名などを、表に示します。

選んだ人 曲(歌手) 発売年
坂本冬美 三百六十五歩のマーチ(水前寺清子 昭和43年
指原莉乃 One・Two・Threeモーニング娘 平成24年
郷ひろみ 負けないで(ZARD 平成5年
南こうせつ どんなときも。(槇原敬之 平成3年
高橋みなみ 夢見る少女じゃいられない(相川七瀬 平成7年
西川貴教 JUMP(ヴァン・ヘイレン 昭和59年
藤井フミヤ Twist and Shout(ビートルズ 昭和38年
氷川きよし 太陽に祈ろう(村田英雄) 昭和43年
谷原章介 満月の夕(ソウル・フラワーユニオン) 平成7年

「三百六十五歩のマーチ」を歌う水前寺清子は、これを選んだ坂本冬美が述べたように、熊本市出身です。芸名も、市内の名所である「水前寺成趣園」からとっています。おそらく、NHKがトップバッターに選んだのは、このためだと思います。

つづいて、指原莉乃HKT48)が選んだのが「One・Two・Three」(モーニング娘)でした。私としては、「人生は、ワンツーパンチ…」という歌詞がある「三百六十五歩のマーチ」のあとに、この曲が来たことは面白かったです。

以下、主に「三百六十五歩のマーチ」についてのみ記載します。

「三百六十五歩のマーチ」(1968年)には、当時の世界観が反映されているように思います。頑張れば明日はもっと良くなると、まだ多くの人が思っていた時代なのではないかと推測します。なお、この2年後に大阪万博がありました。

「幸せは、歩いてこない、だから、歩いてゆくんだね」で始まるこの曲は、前向きです。もちろん、全てが上手くいくわけではなく、「一日一歩、三日で三歩。三歩進んで、二歩さがる」と続いています。全体では1歩前進していますので、大変かもれないが前に進んでいるという当時の感覚が想像できます。

これに対して現在は、むしろ後退していると捉えている人が少なくないと思います。また、価値観を含めて、世の中は多様化し、どんな方向に進んだらいいかが分からない人が少なくないです。このため、このような歌詞の曲が生まれにくい時代です。


この曲は、ミリオンセラーになり、彼女の代表曲にもなっています。しかしながら、ネットで調べると、彼女はこの曲には積極的ではなかったことが分かりました。彼女は演歌が自分の本業であるという意識が強く、行進曲であるこの曲には抵抗があったようです。
yomidr.yomiuri.co.jp

ネットで、このレコードのジャケット写真を探した所、ミニスカートのバトンガール姿の彼女が見つかりました。これも、彼女が最初は嫌がった理由の一つだろうと推測します。
ameblo.jp


ちなみに、歌手であるという自負がある彼女には「ありがとう」(TBS、初回:1970年[昭和45年])への出演も長い間、断り続けていたようです。wikipediaには、石井ふく子プロデューサーが、彼女がTBSに歌の仕事に来るたびに局内の女子トイレで待ち構えて口説いたと記載してあります。しかしながら、このドラマも「三百六十五歩のマーチ」と同じように、大ヒットしたようです。スター性があったということだと思います。


番組が流した映像でおける彼女は、ミニスカートではありませんでした。その代わりに、ミニスカートのコスチュームを着た若い女性が後ろで3列になって踊っていました、前列はバトン、その他はポンポンを持っていましたので、バトンガールを模しているのだと思います。前列はターンをして、後2列はこれにハイキックを加えていました。

驚いたことは…、スカートが思いっきりめくれあがることです。今の時代には、テレビではあまりお目にかからないものです。特に、前列には、お腹が見える者もいました。もちろん、見えていたのは下着ではないと思いますので、支障はないと思います。

当時のバトンガールはこんな感じだったのかもしれませんし、または、テレビ用の振付だからこうなったのかもしれません。ただ、思うのは、色んな意味で時代が変わったのだろうということです。水前寺紀子は現在、70歳ですし、踊っている人も還暦を越えていると思います。色々変わることが当たり前なのかしれません。

上記のように、この曲の後には、「One・Two・Three」(モーニング娘)が映像として流されました。当時は、半世紀後に女性がこのような曲を、歌い、踊る時代が来るとは想像できなかったと思います。

ダンスの技術だけでなく、衣装などにも技術革新が起きているのだろうと思います。その中には、スカートがまくれることを防ぐことも含まれているのかもしれません。


ーーー以上ーーー