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人によっては「夏かし」と呼ばれているものです。

「=Love」(愛称:イコラブ)の衣装をキッカケに「毘沙門天立像」(「運慶展」)を観に行ったことを、思い出しました。

HKT48のメンバーが「=Love」(愛称:イコラブ)の衣装を模したものをtwitterに投稿して、「=Love」のメンバーがお礼のtweetをしていました。具体的にはグループ名と同名のデビューシングル(9月6日)を披露する際のガールスカウト風の衣装です。


ちなみに来月初め(12月6日)には、セカンドシングル「僕らの制服クリスマス」が発売されます。

以下、グループ名としての「=Love」を、イコラブと称することにします。


このtweetをしたHKT48メンバーでは、外薗葉月です。彼女のことを私はよく知らないのですが、服を作ることが好きなようです。

このことによって、イコラブの衣装をキッカケに「運慶展」(東京国立博物館)[2017年9月26日~11月26日]に毘沙門天立像を観に行ったことに思い出したので記載します。


イコラブの該当衣装によって毘沙門天立像を連想したのは、その衣装には2つの胸ポケットがあり、毘沙門天立像が2つの胸当てがある鎧を着用しているためです。しかしながら、2つの胸ポケットがあるアイドルの衣装は珍しいですが、一般的な服においては珍しくありません。

この連想をもたらしたものは2つありました。1つは「日曜美術館」(NHK教育、20:00-20:45)における運慶の特集において、毘沙門天立像(願成就院静岡県伊豆の国市)を観たことです。
www4.nhk.or.jp

毘沙門天は四天王という仏像カルテットに属し、その一員の際には多聞天と呼ばれています。多聞天は武士が台頭する時代になってから人気を博するようになったようです。大河ドラマで観たレベルの知識によると、上杉謙信は自分のことを毘沙門天の生まれ変わりだと信じていたようです。

毘沙門天は、個別に扱われる際の名前のようです。この事情はアイドルグループのことを思い浮かべると分かりやすいです。

アイドルはグループにおける活動の際には、他のメンバーと語尾が似ている名前で呼ばれることがあるようです。解散後には違う名前でソロ活動し、成功した際にはアイドルファン以外は、グループ時代の名前を知らないことはありえることです。

四天王の他のメンバーは、持国天増長天広目天であり、守る方角が割り当てられています。無理矢理にアイドルグループに対応させるならば、そのメンバーに割り当てられた色です。

例えば、ももクロでは赤、黄色、ピンク、緑、紫が割り当てられているようです(wikipedia参照)。イコラブでは今のところ色文化はないのですが、「僕らの制服クリスマス」のMVの最後では、12色の違う色のマフラーを着用したメンバーが映されます。


もう1つは、イコラブファン(=YUVEさん)のtweetに掲載された大場花菜の写真を観たためです。その写真における彼女は髪が振り乱れており、=YUVEさんによって荒々しいフォントである言葉が加えられていました。その髪のあり方と、フォントによって私は武将を思い浮かべ、さらに前日?に観た「日曜美術館」における毘沙門天立像を連想しました。

ちなみに、大場花菜は条件が良いステージよりも悪天候などの方が本領を発揮できるタイプです。この写真とは違って、「僕らの制服クリスマス」のMVなどではかわいく写っています。

大場花菜の写真に書き加えられていた言葉は「常勝電通」です。この言葉は、イコラブのプロデューサーである指原莉乃冠番組「指原の乱」(テレビ東京、2013年10月から翌年3月)において彼女によって発せられることがあった言葉です。大場花菜はこの番組を観ていたようです。なお、私は電通がその頃に常勝であったは把握していません。


上記の説明のようなキッカケで「毘沙門天立像」を「運慶展」に観に行った際には、目的がありました。それは、毘沙門天立像が胸当てがある鎧を着用している理由を知る手がかりを得るためです。

「運慶展」で展示されている「毘沙門天立像」は日曜美術館によると、源頼朝の義理の父の北条時政の発願によって作られたものということです。その製作の際に運慶は武士をイメージしたようです。でも、その着用している鎧は、当時の武士のものとは様式が違います。

「運慶展」自体では、胸当て付きの鎧の謎は分かりませんでした。でも、それが答えに導いてくれました。結果を先に記すると、唐の時代の西域の武人が着用していた様式のものだということです。

唐の都は長安(現在の西安)でした。北京や上海などとは違って内陸にあり、当時のシルクロードの入口でした。仏教がシルクロード中国に伝わってきたことを考えると、なるほどだと思いました。

「運慶展」が答えに導いてくれたいうことを具体的に記すると、東京国立博物館の一部である東洋館において同じ様式の鎧をつけた俑を見つけました。記憶が正しければ、陵から出土されたものでした。そして、これを手がかりにして帰宅してから調べて確認をしました。ちなみに幸運にも後日、ある学芸員の方のお話を伺う機会がありました。


ーー以上ーー